2011年03月06日

ありがとう、サニーブライアン。

2011年3月3日午後10時。
1997年ダービー、皐月賞を制したサニーブライアンが疝痛のため死亡しました。
17歳でした。


昨年1月に、師匠である中尾銑治元調教師が亡くなりました。
そして今またサニーブライアンが逝き、何ともいえない喪失感があります。

でも、正直、実感はあまり無いんですよね。
僕の心の中には今でも、いつでも、鮮やかにその姿が在る。
中尾先生の厳しく、そして誰よりも優しい眼差し。
サニーブライアンのぴかぴかと輝く馬体・・・。

思い出すと胸が温かくなる大切な人たちは、常にそばにいます。


2007.1 106.jpg

僕が最後にサニーブライアンに会ったのは、2007年7月1日。

関西の競馬番組の特集で北海道に行き、当時アロースタッドで種牡馬だったサニーブライアンとともに収録。
とてもやんちゃで、イタズラ好きなのは変わらなかった。
仕草や表情から、僕のことを覚えてくれていることが伝わってきました。

その年に種牡馬を引退、アエルさんで余生を過ごすことになり、それからは会っていません。
それでもファンの方が会いに行ってくださり、元気でいると聞いていたので安心していました。
とても大切にされていたようですね。


2007.1 047.jpg

いつの日か、サニーブライアンとともに暮らすのを夢見ていました。

それが可能かはわからないけれど。
迎える環境が整ったら、所有する方にお願いして譲っていただこうと考えていた。
誰にも話していない、僕だけの夢。
いつか叶うと信じていましたが、幻となってしまいました。



サニーブライアンにかける言葉はひとつしかありません。



ありがとう。



本当に、ありがとう。






騎手として生涯に一度、到達できるかどうかの「頂(いただき)」まで導いてくれた。
馬主の宮崎氏のご理解や厩舎スタッフの努力もあり、一世一代の大勝負に勝つことができた。
生まれてきて良かった。
騎手になって本当に良かった。
いつか僕がこの世を去るときが来ても、思い残すことのない人生だったと心から言える。

それほどの想いを与えてくれたのは、サニーブライアンです。







僕はあまり非現実的なことを信じない性格です。
けれどもしも。
もしも天国というものがあるのなら。

思い切り駈けまわって、楽しく過ごしていてほしいと願う。










最後に。

アエルの皆様、今までありがとうございました。
主戦騎手というだけで、僕はサニーブライアンに何もしてあげられませんでした。
皆様をはじめ訪れるファンの方にも愛されていたこと、心よりお礼申し上げます。


大西直宏





IMG_0972.JPG

サニーブライアン 1994年4月23日生


サニーブライアンは96年に中尾銑治厩舎(美浦)からデビュー。
その競走馬の背には、大西直宏元騎手しか乗っていません。

皐月賞は11番人気と低評価、勝って臨んだダービーでも6番人気でした。
しかし戦前の大西騎手の強気な逃げ宣言どおり、ダービーでも逃げて2冠を達成。
09年のロジユニヴァースが勝つまでは関東勢としては最後のダービー馬でした。
ダービー後に骨折が判明し、その後に屈腱炎が判明し、引退。


JRA通算10戦4勝

種牡馬成績:03年愛知杯(GV)カゼニフカレテ、05年中日新聞杯(GV)グランリーオ







07年には種牡馬を引退。
北海道浦河町の乗馬体験型宿泊施設・うらかわ優駿ビレッジ「アエル」にて、引退功労馬としてけい養され、多くのファンが訪れていたようです。

「100,000人の歓声をどよめきに変えた馬」

そんな紹介ページを目にしたことがあり、思わず笑みがこぼれました。
馬の中でも一番若く元気で、やんちゃな性格だったとのこと。







三宅アナウンサーの声がこだまします。



これは、もう、フロックでも、なんでもない!

二冠達成!!!サニーブライアン!!!!!!!!




あの逃げは、忘れない。














posted by ニッシー at 09:41| Comment(14) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
写真2枚目のサニーブライアンの表情が良いですね。
競馬ファンにとってはあれから14年経ちますけど今でも大西さん&サニーブライアンは最高のコンビです!ヒーローインタビューで大西さんが興奮しているのが覚えています。
天国でサニーブライアンと中尾銑治元調教師が大西さんのことを応援している思います。これからも頑張ってください。応援しています。


Posted by とまと at 2011年03月06日 12:27
コメント失礼いたします。
最近の競馬はエージェント制の横行もあって騎手と一頭一頭の馬の関係も希薄になり、馬への思いを感じられない場当たり的な騎乗も散見されます。
また皆がリスクを背負うたがらない、安全策のスローペース症候群なレースばかりで、正直本当の意味での“競”馬を見れていないと感じています。

そんな中で知った今回のサニーの死は、何かあの熱い、競馬が本当に熱かった時代から確かに年月が経ってしまったんだと改めて感じさせられました。
だって今、どこのどんな騎手が、一頭の馬に対して“自分が生まれてきて良かった”と思わせてくれた馬と、そこまでの形容の仕方をできるでしょうか。

中尾先生を尊敬され、厩舎を信じ、調教から付きっきりでサニーと向かい合い試行錯誤され、また沢山の敗戦を経験されながら、大西騎手がサニーの為に最良の戦法として選ばれた渾身の逃げ。
ダービー前の大西騎手の『一番人気はいらない、一着が欲しい』は余りにも有名な言葉ですが、それだけ人馬に信頼関係があり、また大西騎手自身があの調教に耐えたサニーが負ける訳がないと本当に自信を持ってられたからこその言葉だったんだなと、今考えても胸が熱くなります。

ダービー直後に宣言してくれた淀での逃げが実現しなかったのは本当に残念でしたが、自分にとってはどの三冠馬より、サニーと大西騎手の二冠こそが競馬・クラシックにおける最高のシーンです。

大牧場御用達でなくても、何頭もお抱えの馬がいる騎手じゃなくても、その分師弟関係の中で一頭一頭の馬との会話を大事にし、その馬の個性にあった戦法を導き出していく。
そんな現役時代の大西騎手の様なジョッキーを一人でも育てて下さる事が、天国のサニーへの何よりの贈り物になるのではないかなと思います。(生意気な文章でしたらすいませんm(__)m)

自分は人が引退後の功労馬の元を訪ねる写真や映像を何度となく目にしてきましたが、こんなに素敵な写真は今まで見たことはありません。
大西騎手の彼への気持ちをちゃんと心に持って、きっとサニーは今を生きる自分達より少し早く天国へあの力強い逃走劇を始めたんだと思います。

自分はこれからも影ながらですが、大西“先生”のこれからの力強い活躍を応援させていただけたらと思います。
この度はサニーへのメッセージをこちらに載せてくれて、本当にありがとうございました。
Posted by top at 2011年03月06日 14:02
こんばんわ。以前のブログでは書き込みさせていただいておりました。

サニーブライアンの訃報を聞いてとても悲しく思うとともに、当時の感動や興奮がよみがえってきました。

私の心の中にいつまでも輝く思い出であり、今でもその感動の中に身を置くことができます。大西さんの実感のない感じと同じかもしれません。

二枚目のサニーブライアンが鼻を伸ばして大西さんに甘える様子、とてもいい写真ですね。一緒に暮したらさぞ楽しかったでしょう。

コメントを出してくださってありがとうございます。

今後とも騎手養成のお仕事、頑張ってください。陰ながら応援しております。
Posted by サンク at 2011年03月06日 22:53



>>とまとさん
ありがとうございます。
ダービーを勝った瞬間の、目の前、というか頭の中が真っ白になった感覚は今でも忘れられません。
その後のインタビューなんかも、多分、夢の中にいるような実感のない感じだったんじゃないかと思います。
「どや顔してる。」と親しい人に言われましたが、それはそうです。
「見たか!!」という思いが顔に出たのでしょうね。

>>topさん
とても温かく、心にしみるコメントをありがとうございます。
勝つことに意味がある競馬において、特に騎手は勝負にこだわります。
良い馬に乗せてもらい勝つのは、ある意味理想です。
けれど一ファンとして観ていると、やはり競馬にはロマンが欲しいと思うようになりました。
個性的な馬、その馬とコンビを組むジョッキーとのドラマ、生産や育成に携わる人の思い。
そうしたものが、馬券だけではない、感動を生むのだと気付きました。


>>サンクさん
覚えています。お久しぶりです。
コメントありがとうございます。
一緒に暮らしたいというのは、僕のわがままな願望でした。
訪れる方に可愛がられていたようですので、そちらの方が幸せでしょうし・・・。
それでも、家族として暮らしたかったな、と思います。

Posted by 大西直宏 at 2011年03月08日 12:09
大西さん、管理人さんこんばんは。

サニーブライアンが亡くなったこと金曜日に知りました。いつかこの日が来るとは思っていましたがあまりにも急だったので一言で言い表せないくらいですが本当に悲しかったです。
あれからビデオとかたくさん見てやっぱり凄かったと今でも思います。
サニーブライアンはこの世にはいませんが僕にとってサニーブライアンはこの上ない馬です。
感謝しています。ありがとう。
Posted by たか at 2011年03月08日 21:43
ぼくが競馬始めて始めて見たダービーがサニブーでした。皐月賞の逃げがすごく印象的でダービー逃げ切ったときはすごく感動し競馬にハマルきっかけになりました。
今でもサニブーは大好きだしタラレバは禁物ですが逃げて三冠見たかったです。ご冥福を祈るとともに改めて僕の心に刻まれ自分の中での一つの節目になったきがしました。
ぼくからもありがとうと伝えたいです。
Posted by こんばんわ at 2011年03月10日 00:21
大西さん、管理人さんこんばんは。
学校、生徒さん、スタッフさん、皆さんご無事そうで良かったです。
私の家は仙台にありますが家族ともどもなんとか無事でした。親戚や友人にはまだ連絡が取れず心配です。また、今まで慣れ親しんだ場所が壊滅状態にありそのことが信じられません。
悲しいことがたくさんありましたが前を向いて進んでいくしかないのかなって思っています。生徒さんや大西さんの笑顔をこのホームページで見れると元気になれます。これからもみなさんのこと応援していますので頑張ってください。
Posted by たか at 2011年03月19日 21:26
大西さんこんにちは。震災の影響は大丈夫でしょうか?

サニブー亡くなったんですね…
大西さんと共に、僕の青春時代の思い出の一つでした。サニブーは…
アロースダットにも何回も会いに行きました。この年になると、毎年のように思い出が一つ一つ消えて行くのが少し寂しいですが、私の中には今でも皐月・ダービーを逃げきったサニブーと本当にカッコ良過ぎな大西さんはあの時のままです。
大西さんのこれからのご活躍をお祈りしています。と共にお身体大切に。

サニブー、本当に可愛い子だったね。沢山の思い出を有難う!
Posted by 高橋 at 2011年03月20日 16:54
大西さん、はじめまして。
Kenちゃんと申します。
北海道は浦河に在住しています。
うらかわ優駿ビレッジAERUはすぐ近くです。
現役時代ファンだったサニーブライアンには、毎週のように逢いに行っていました。
突然の訃報で言葉がありません。

Blogで何度かサニーブライアンを紹介していました。
なかなか浦河までお越しになる機会はないかと思われますが、
よろしければBlogを覗いてやってください。
http://ameblo.jp/ken1isbikerjp/
Posted by Kenちゃん at 2011年03月22日 00:55
>>たかさん
遅くなってすみません。
この震災で、たかさんの様子が気がかりでした。
ニュースでしか現地の様子を知ることはできませんが、やはり厳しい状態なんですね。
盛岡や福島、東北の競馬場にはたくさんの思い出があり、現地では多くの人にお世話になりました。
僕も友人知人のことを思うと辛くなります。
たかさんもご家族も、今はまだショック状態が続いていると思いますが、たかさんは若い頃から様々な経験をして芯が強い人だと思うので、頑張ってください。



>>高橋さん
ありがとうございます。
学校をはじめ、僕の家も被害はありませんでした。
サニーブライアンのレースを、14年も経った今でも、高橋さんのように覚えていて下さる方がいるのは本当に嬉しいです。
僕もきっと死ぬまで、サニーの姿は色あせないまま、心に残っていると思います。



>>kenちゃんさん
はじめまして。
ブログ拝見しました。
祭壇まであり、何とも言えない思いがこみあげてきました。
引退後の様子を知ることが出来たのも嬉しいです。
本当にありがとうございます。
これからもブログ楽しみにしています。
Posted by 大西直宏 at 2011年03月22日 13:41
大西さんはじめまして。

私は現在21歳で、競馬に興味を持ったのが2003年頃だったため、サニーブライアンの現役時の活躍を見ていません。

しかし、競馬に興味を持ってから色々知っていく内に大西騎手とサニーブライアン、馬主の宮崎氏と調教師の中尾氏4者のダービー制覇の歴史を知り、とても興味を持ちました。

私の実家は札幌なので今年の3月に帰省したら、サニーブライアンのいるAERUに顔を出してみようと考えていた矢先、サニーブライアンが亡くなり大変残念でした。

当時直接見ていない私が言うことではないかもしれませんが、このblogを見て改めて大西さんとサニーブライアンの絆を感じます。

書き込みが遅れましたが、サニーブライアンの冥福を祈り、大西さんの今後のご活躍を期待しております!
Posted by 拓 at 2011年05月21日 13:50
初めて書き込みさせていただきます。

サニーブライアン亡くなったんですね。

初めて見たのは(テレビでですが)府中3歳Sでした。

小倉3歳Sを勝ったゴッドスピードが出走していたので、何となく見ていたのですが、何故か印象に残っていました。

皐月賞ではサニーは買わずに外してしまったのですが、そのレースを見て、職場でもずっと「ダービーはサニーで間違いない」と言い張っていました 笑

職場の店長には、「逃げでダービーは難しいんで。ありゃフロックじゃろ」と一蹴されたのですが。

で、当日。

客商売なので、日曜は仕事なのですが、やはり競馬好きなお客さんは山ほどいらっしゃいますので(笑)

毎回買いに行ってくださる競馬仲間のお客さんにまで「ええん?ホンマにええん?」と、やたらと聞かれました。

で、レースが始まって、直線に入った瞬間に、「こりゃーアンタ取ったの」と、皆から言われました。

ブログにも最後に書かれていましたが、三宅アナウンサーの「これはもうフロックでもなんでもない!二冠達成!!」の大絶叫には、鳥肌が立ちました。

今でもYouTubeであのダービーを見ますが、馬券を取ったからではなく、あの「人馬一体」の姿がとても素敵で、否応にもなくサニーと大西騎手のファンになりました。

「こりゃー菊もあるで」と言われて、自分のことの様に嬉しかったのを思い出します。

サニーの引退後も、その子どもが出走していると、お客さんからも「おい、サニーの子がでとるで」と言われるほどでした。

種牡馬引退後のサニーの様子は窺い知ることもなく、元気でのんびり過ごしていると思っていた矢先のニュースに、ただただ残念です。

国際馬事学校で、大西さんとともに過ごし、このブログでその姿を見ることができていたかもと思うと、その早すぎる旅立ちが残念でなりません。

ダービー馬 サニーブライアンのご冥福を、心よりお祈りいたします。

大西さんも、心の中でともに駆け回っているであろうサニーと一緒に、次世代のホースマン育成にがんばってください。
Posted by しま at 2011年06月05日 12:28
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Posted by スーパーコピー時計 at 2013年11月18日 10:14
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Posted by モンクレールウンアウトレット at 2014年12月16日 12:45
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